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衆議院議員
麻生 太郎
生年月日
昭和15年 9月20日
所属政党 自由民主党
選挙区
福岡県第8区
当 選 9回

学習院大学卒業後、スタンフォード大学大学院、ロンドン大学政治経済学院に留学。帰国後に家業の麻生産業(現麻生セメント)に入社、炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。日本青年会議所会頭時代は民間外交を積極的に推進。祖父は故吉田茂元首相、父の故太賀吉も衆議院議員と政治一家だが、衆議院初当選は父引退の24年後。「タロー」の愛称で親しまれる自らの人柄で熱烈な支持を集めてきた。国内各界のほか米国など海外にも幅広い人脈を持つ。特技の射撃は第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))優勝、第21回オリンピック競技大会
(モントリオール)(射撃:クレー・スキート)にも出場し、ゴルフも得意。
一男一女の良き父でもある。

昭和15年9月20日生  
昭和38年 学習院大学政経学部を卒業後、スタンフォード大学大学院(昭和38年〜昭和40年)に留学。
昭和40年 ロンドン大学政治経済学院(昭和40年〜昭和41年)に留学。
昭和48年 麻生セメント社長に就任。
昭和51年 第21回オリンピック競技大会(モントリオール)
(射撃:クレー・スキート)に日本代表として出場。
昭和53年 日本青年会議所会頭に就任。若き経済人のリーダーとして活躍。
昭和54年 衆議院選挙に初当選。以来、エネルギー政策の転換で疲弊した産炭地・筑豊の浮揚に全力を集中、同時に経済大国日本の果たすべき役割と進むべき道を追求、外交面でも活躍。
昭和63年 文部政務次官に就任。
平成2年 自民党文教部会長に就任。
衆議院石炭対策特別委員長に就任。
衆議院外務委員長に就任。
平成5年 自由民主党副幹事長に就任。
平成8年 国務大臣 経済企画庁長官に就任。
平成12年 自由民主党 経理局長に就任。
平成13年 国務大臣 経済財政政策担当大臣に就任。
自由民主党政務調査会会長 に就任。
平成15年 総務大臣に就任。
平成17年 外務大臣に就任。

内外にわたる幅広い人脈と行動力、政治への情熱は高く評価されており21世紀のニューリーダーとして注目を集めている。祖父は、今日の日本の進路を決めた吉田茂元総理。当選9回。

セピア色に変色した1枚の写真。非常に懐かしい思い出の1枚です。確か昭和24年の冬と思いますが、インドのネール首相から日本に贈られた2頭の象を、祖父で当時総理大臣だった吉田茂と、母の和子と一緒に上野動物園まで見に行った時のものです。
中央の子供が私で、その右が祖父、左が母です。この写真を見て改めて驚くのは、現在と違って総理大臣の警備がたった一人であること。私の記憶に間違いがなければ、あとは新聞記者と一般の見学者の方々です。当時、日本の将来をその双肩に担っていた祖父とは思えぬ、温かみのある表情が印象的です。
上野動物園の象は名前をインディラ、ハナコと言い、全国の人気者となりました。インディラは昭和58年に死亡しましたが、ハナコの方は現在、およそ50歳。東京の井の頭恩賜公園自然文化園で元気に余生を送っているそうです。


在りし日の祖父・吉田首相と両親と共に 御神輿に乗っていさましく。
馬小屋にて クレー射撃も自慢の腕前


射撃日本チャンピオン獲得。
トロフィーを抱えて満面の笑み

昭和54年の初当選

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