昭和15年9月20日生
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昭和38年 |
学習院大学政経学部を卒業後、スタンフォード、ロンドン両大学院に留学。 |
昭和48年 |
麻生セメント社長に就任。 |
昭和51年 |
第21回オリンピック競技大会(モントリオール) (射撃:クレー・スキート)に日本代表として出場。 |
昭和53年 |
日本青年会議所会頭に就任。若き経済人のリーダーとして活躍。 |
昭和54年 |
衆議院選挙に初当選。以来、エネルギー政策の転換で疲弊した産炭地・筑豊の浮揚に全力を集中、同時に経済大国日本の果たすべき役割と進むべき道を追求、外交面でも活躍。 |
昭和63年 |
文部政務次官に就任。
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平成2年 |
自民党文教部会長に就任。
衆議院石炭対策特別委員長に就任。
衆議院外務委員長に就任。 |
平成5年 |
自由民主党副幹事長に就任。 |
平成8年 |
国務大臣 経済企画庁長官に就任。 |
平成12年 |
自由民主党 経理局長に就任。 |
平成13年 |
国務大臣 経済財政政策担当大臣に就任。
自由民主党政務調査会会長 に就任。 |
平成15年 |
総務大臣に就任。 |
平成17年 |
外務大臣に就任。 |
内外にわたる幅広い人脈と行動力、政治への情熱は高く評価されており21世紀のニューリーダーとして注目を集めている。祖父は、今日の日本の進路を決めた吉田茂元総理。当選8回。 |