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嘉麻の里
2005年5月号 『戦勝百年 「海」』
  今年は、平成17年、西暦2005年で、自民党結党50年、大東亜戦争敗戦60年等々、色々な意味で節目の年に当たりますが、忘れてならないのは日露戦争戦勝100年ということであろうと存じます。
   今から100年前の1905年、東郷元帥率いる日本海軍連合艦隊が5月27日、日本海においてロシアのバルチック艦隊を撃破、世界の海戦史上完勝とも言われる大勝利をした歴史的事実を忘れないで下さい。
 この戦争は、20世紀の幕開けともいうべき大きな事件でありました。当時のロシアは世界最強の陸軍大国であり、海軍もイギリスに次ぐほど巨大で、ナポレオンすらロシアのコサック騎兵には全く歯が立ちませんでした。大ドイツ帝国も、有名なモルトケ参謀総長率いる無敵と言われた陸軍を有していましたが、その基本方針はロシアとは戦わないという外交戦略を立てていたほどだったんです。そのロシアと有色人種の日本が戦争するというんです。十字軍この方、有色人種が白人と正面から戦争して勝つということは500年間ありませんでしたから、世界中誰も日本が勝つとは予想していなかったろうと思われます。
 しかし日本としては戦わざるを得ない事情がありました。1868年に開国してから4年後、岩倉使節団が欧米に派遣され、時の国際情勢、中でもアジアの事情を知ることになります。当時は欧米列強対立の時代で、アジアではインドシナ半島はフランスに、インドネシアはオランダに、マレー半島や中国はイギリスに、フィリピンはアメリカにそれぞれ抑えつけられ、植民地化させられていました。このまま行けばロシアの南下政策は避けられず、満州から朝鮮半島はロシアの影響下におかれ、遠からず日本はロシアの植民地にされる。日本の自主独立を維持するにはどうしたらいいのかが最重要事項でした。そこで視察団は結論を出します。彼ら列強諸国は道義より力の信奉者である。力には力で対抗する以外に方法はない。飢えた狼の前で肥った羊の正義や道義は通らない。そう喝破、見抜いたところが、明治の政治家の最も偉いところの一つだったと私は確信しています。
   そこで、帰国するや日本の国家目標は「自主独立の維持」。そのための手段は強兵、そのためには富国、殖産興業と定め、近代工業化社会に適応するよう、「先ずは教育だ」として義務教育制度を創設し、国費による海外留学制度も作り上げ、軍事教練のために海軍はイギリス、陸軍はドイツから先生を招き、ロシアとの戦争に備えたんです。国家予算に関しては、教育と軍事に極端な傾斜配分をしております。
   さて、日本が勝利を得た要因は何だったか。両海軍の戦力を比較すれば、総排水量トン数では日本はロシアの半分でしたが、イギリス製の新造艦を有し、近海でしたから水雷艇のような小型船も活躍できた点は有利でした。そういうプラスアルファがあっても、双方被害は甚大で良くて五分五分というのが当時、戦前の予想でした。しかし結果は日本の軍艦は一隻も沈没せず、他方バルチック艦隊は全艦沈没、もしくは捕獲されております。いわゆる完全試合でした。しかも日本海海戦は、その当時では世界最大の海戦でしたから、世界中の人は驚いたことだろうと容易に想像できます。
 この海戦勝利の真の立役者は、確かにイギリス製の軍艦や日本兵の志気、練度の高さもありましたが、「下瀬火薬」という新型火薬の存在かもしれません。これは下瀬雅充海軍技師が発明したもので、弾殻を3000以上の破片にし、弾薬が気化したガスの温度は3000度以上になり、銅板に塗ったペンキはアルコールの如く引火して火災を起こすというものです。普通の火薬なら死傷者が出ても戦闘続行は可能ですが、船に火災が起きたら大砲に近寄ることができず戦闘能力は失われますから、日本が有利になったんです。
 また、伊集院信管と呼ばれる砲弾が魚雷式になっていたものも、バルチック艦隊敗因の一つだとロシア側は文献に記しているそうです。
 木村駿吉の発明した無線電信によって、例の「敵艦見ゆ」の報が連合艦隊にいち早く届いたのも、日本に決定的な優位を与えました。無線通信の先駆的実験、いわゆるマルコーニの実験が成功したのは1895年。10年後には海戦においてその実用に耐えるまでに、日本の科学技術力が向上していたということですが、そんなことができる有色人種は日本人だけでした。
   陸軍の方は次回に書きます。


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