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2007年2月号 |
『ローカルスタンダード』 |
いつの頃からか「グローバル・スタンダード」とか「グローバライゼーション」という言葉が、日本のマスコミ、特に経済誌ではやるようになりました。 世界基準とか国際基準といった意味です。情報技術(IT)とか情報通信技術(ICT)の発達により、企業の国際化は著しく容易になりました。また、金融商品のような国際市場で扱われる商品が増えるにつれて、商いをする人にとって各国毎に基準が異なると不便であり、時に不利益をこうむることもあります。従って、企業の会計基準や取引のルールを世界共通のものにしようという話です。
大体こういう話は、眉に唾をつけて聞かないとイケマセン。そもそも昔からそれぞれの国に、それぞれの経済学があったんです。ところが19世紀から20世紀にかけては、イギリス経済が世界のナンバーワンだったから、アダム・スミスが幅をきかせていました。また20世紀後半からはアメリカがとって替わっているのです。しかし経済学なんて学問は、もともと優劣があるわけではありません。敗戦後、日本の経済を世界のナンバー2に押し上げた日本経済学はアジアに広がり、世界に広がっています。これが今後も続き、仮にナンバーワンになると、日本経済学も世界の経済学になり得るということです。
  しかし、その本質を言葉にして、世界に正しく説明できる学者が、残念ながら日本にいない。いないだけならいいんですが、「グローバル・スタンダード」とか勝手に名付けられたアメリカ流理論経済学を、教条主義的に日本に当てはめようとするんです。学者というのはあまり経営の現場を知らないし、現実を見ようともしない人が多い。この人たちは、誰かの作った宣伝上手な一つの理論経済学をふりかざして、日本経済の不備をつき、また日本経済を糾弾するんです。本来ならその本質を見極めるべき言論界やテレビの解説者とか称する人も、似たりよったり。この症状におちいると、民間のサラリーマンまでが、教条的理論経済家になってしまうんです。
  会社は株主のものである。第三者評価が必要で透明性が大事。会社は利益が第一で高く売れるものは何でも売ります。誰の制約も受けず、商いができるのが資本主義の根本である・・・といった、一見、至極まともそうなたぐいの話が、この10年ぐらい日本を席捲していました。しかしよく考えてみて下さい。「日本の会社は実力の割りに株が安すぎる」と文句を言いますが、そう思ったら黙って株を買えばよいんです。公認会計士をしっかりつけろとか、時価評価をやれとか、アメリカからも言われましたが、それは本来ファンド会社の仕事なんじゃないですか。
  それにもかかわらず、日本経済の現場を知らないアメリカかぶれの学者はそれに乗った。日本企業はやむを得ず政府に従ったが、結果として資産デフレに端を発した今回の不況は不必要に長引いたと、批判するマスコミが出てこないのは不思議です。
  しかし幸いなことに、こういう嘆かわしい状況にあって、イブシ銀のように光っていた企業もあったんです。そうした学者に目もくれず、「わたしゃ東京には行きません。三河がいいわ」と言っていたトヨタ。和歌山から本社を移す気はまったくない編み機の島精機は、「用があるならお出まし下さい。今は和歌山でもインターネットで商いはできますわ」と言っています。
  そろそろグローバル・スタンダードとかいう、蜃気楼みたいなものから抜け出し、日本に適した「ローカルスタンダード」を再考してみませんか。
  会社を始めるとき、友達に金を借りて始めるのが日本やドイツ。友人に投資してもらい、株主になってもらってスタートするのがアメリカやイギリス。資金が他人のものであるのは同じです。借金だったら、信用さえあれば金利を払っておけばよいが、株主なら配当しなければなりません。配当するためには、会社を黒字にしなければなりません。しかし、借金の金利を払うのなら赤字でも可能です。だから日本はバブルの時代でも法人企業の約5割は赤字だったんです。そして日本では税理士が発達し、アメリカでは会計士が発達するんです。おわかりでしょう。こういう根本的なことすら分かっていない人に邪魔されながら、資産デフレという政策不況から立ち上がった日本経済の底力に、もっと自信を持つべきです。
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