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2007年3月号 |
『資産デフレ不況』 |
日本の景気回復は「イザナギ景気」を越えて、長期の回復軌道に乗ったことは、数字が証明していると政府が言えば、そんなのは机上の話で現実は厳しい。景気回復感は全く感じられない。むしろ、働いても働いても豊かにならない「ワーキング・プア」が増えて不満を言う人が増えていると いう人がいます。マスコミは反政府を基本スタンスとしていますので、「格差」という言葉で煽っているのが昨今の事情です。この話は双方ともに今回のデフレ不況の本質が解っていない点において、共通しているんじゃないかと私は思っているんです。
今回の不況を振り返ってみると、1985年プラザ合意に始まる対ドル交換為替が240円から120円まで、暴落したのに始まります。先進国会議の合意で決まった結果ですから、日本だけで対応出来るものではありません。マスコミは例によって一斉に「円高不況」と言う言葉で煽りました。自国の通貨が安くなってハイパーインフレーション等が起きて、国家が破産状況に追い込まれた国は少なくありません。しかし自国通貨の値打ちが上がって破産する事はありませんから、私はなんという先行きの見えない輩が記事を書いているのかと思ったもんです。
考えてみて下さい。国際的に見れば、円の値打ちが二倍になった、つまりこれまでより二倍金持ちになったのです。いわゆるバブル経済の発生です。そこで、問題はその金の使い道になり、今まで貧しかった人が、急に金持ちになるのを「成金」と言って多くの人が蔑むのは、羨ましさ、妬みもありますが、金の使い方に問題があるからじゃないでしょうか。
そこで当時の日本人の多くは、その金を土地と株に投資したんです。結果として土地価格は暴騰し、株価も日経平均38915円まで上がったのが1989年12月29日でした。翌年から株は下り始めたんですが、土地価格は更に上がり続けました。そこで土地に関する融資の規制策が大蔵省によって取られ1991年を境に地価は暴落したんです。これが総量規制という名の、天下の悪法だったと私は確信しています。
地価の下落は資産の下落を意味します。通常、企業が銀行から金を借りるとき、土地を担保に出し、その価格の7割前後の融資を受けるものです。その担保となる土地の値段が政策により意図的に下げられたんです。結果、全国の商業用地は二掛け、つまり坪100万円の土地が20万円に 下がったんです。その結果これまで70万円銀行から借りていた人は20万円の70%、つまり14万円しか借りられないことになり56万円は担保不足が生じました。
意味がお解りでしょうか。銀行から金を借りるための担保にしている土地の担保不足が生じたんです。よくいわれた不良資産、貸しシブリ、貸しはがし、etc。全ての元凶はこの土地価格の暴落に端を発したと私は思っています。
そこに竹中平蔵という経済現場の解っていない人の、銀行の不良資産一掃策が追い打ちをかけました。結果、多くの銀行は預かっている担保の土地を安くても売却し、企業は資金繰りがつかなくなり、やはり安い値段でも資産を売却して債務返済に努めました。ゴルフ場をはじめ安い土地を買ったのはハゲタカファンドと揶揄される外資系金融であったことは、ご存じのとおりです。しかしこの15年余り、多くの企業は借金返済に専念し、利益は銀行返済に廻し続け、ついに担保不足による債務超過から脱却したのが一昨年末くらいでしょうか。利益を銀行返済に廻さなくてよくなり、 新たな設備投資に廻せるようになったんです。誠に喜ぶべきことですが、これは各企業の努力によるもので、政策が関与した結果は、税の繰り延べ等極めて限られております。つまり金利が限りなくゼロに近い数字でも、企業は金を借りようとせず、借金返済を優先せざるをえなかったのが、この15年間なんです。こんな前提で経済学を学んだ人も本を書いた人もいません。敗戦後初めて異常な形でのデフレ不況が起きているという前提に立って、不況対策をやっていないんですから、対策が功を奏さなかったのは当然です。
これが今回の不況の根本原因です。この60年間、日本が対応してきたインフレ不況向きの対策は、デフレ不況にはあまり役に立たなかったということを理解しておかないから、双方の議論が非建設的なものになっているんです。
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