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講演・論文
2007年2月9日 支持率に一喜一憂するな

  最近、安倍内閣の支持率低下がマスコミ等で取り上げられております。内閣支持率というのは、いわゆる世論ですから、民主主義の世の中においては当然、注意を払っていかなきゃいかんし、結果的に支持をいただけるよう精一杯仕事をしていくことは政治家として大事なことです。ただ、支持率ばっかり気にしたり、それに一喜一憂するような政治を行うことだけは避けなければなりません。  
   そう、あれは昭和26年、私が小学校5、6年生だったの頃のことです。当時、日本は第2次世界大戦を国際法的に終結させるための「対日講和条約」を結ぼうとしておりましたが、ソ連、中国など社会主義国を含むすべての交戦国と講和条約を結ぶべきだという「全面講和論」と、占領の長期化を避けるためにまずは米国を中心とする西側諸国と講和条約を結び、いずれ時がきたときには他の国とも結ぶべきだという「多数講和論」で国論は二分していました。  
   時の総理であった祖父・吉田茂は「多数講和」を結ぶため、自ら全権委員として米国・サンフランシスコに乗り込むわけですが、その2日程前に私と弟を呼び、いつになく神妙な顔つきで話を始めました。「小村寿太郎がポーツマス条約にサインをして帰国した際、沿道から石は投げられるは、家は焼かれるは大変な目にあった。片や松岡洋右が国際連盟を『サヨナラ』演説で脱退して帰国した時には、日本中で歓呼の声に迎えられた。しかし、後世の歴史家などの評価では、松岡の判断よりも小村の判断が正しかったと逆転した」という話です。  
   現在のような世論調査があれば、「全面講和論」支持の方が多かったと思える状況だっただけに、祖父としては「自分の決断に対する評価は、後の歴史学者の判断を待つしかない」ということを言いたかったんだと思います。小学生の私にはそこまで深く理解はできませんでしたが、「なんかヤバそうだな。もしかしたらウチの家も焼かれるのか」という緊張感を抱いたことを覚えています。  
   結局、祖父はサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を結んで帰国したわけですが、祖父の心配は杞憂に終わり、羽田空港や都心に向かう沿道には日の丸を持った大勢の人たちがつめかけ、歓呼の声で迎えられました。  
   これは余談ですが数日後、「おじいさまも歓呼の声で迎えられたので、後世の歴史家から評価されないのでは?」と聞くと、祖父は一瞬、「ムッ!」とした表情をし、すぐに「グヮハハハ」と、いつも以上に大笑いしていましたが、それだけ祖父の重圧や緊張感は大きかったのではないでしょうか。  
   まあ、話が横にそれましたが、安倍さんが総理になられてまだ4ヶ月程度しかたっていませんが、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、道路財源の一般化に手をつけるなど、政治家からみれば日本の将来に向けかなりすごい事をやっています。ただ、一般の方から見ると、「教育基本法の改正なんて頼んでねえよ、それよりイジメをなんとかしろよ」とか「省昇格よりも、所得格差感とか地域間格差の方が問題なんじゃないか」などという意見が多いんでしょう。だから、世論調査をやってみると受けない。  
   しかし、イジメにしても所得格差感、地域格差などの問題は小手先の策だけで解決する問題ではなく、社会の仕組みを根本から見直していかなきゃあ、なかなか解決できる問題じゃありません。その根本的な部分に安倍内閣は手をつけてるわけで、きちんとやっていけば、いずれ評価はされてくると思います。だからこそ、われわれ閣僚はもちろん、今こそ自民党が一丸となって首相を支えていくことが極めて大事なんじゃあないでしょうか。

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